晩秋の尾瀬を見たくて、福島県の檜枝岐村を訪ねました。後ろに見えるのが東北以北で一番高い山・燧ヶ岳です。檜枝岐村は、福島県会津地方の南端にあり、戸数約200・人口約700人の小さな村。村の中心地が標高940mの高知にあり、有数の豪雪地帯。そんな小さな、小さな村でもたくさんの新しい発見がありました。橋場とは橋の近くにある、ばんばとは「お婆さん」という意味。縁結び・縁切りの神様。縁を結びたい人は、ハサミを針金などで巻いたりした切れないハサミを。縁を切りたい人は、良く切れる新しいハサミを奉納する。ある意味で人との「縁」の大切さを教わったような気がした。自然の地形を活かした石段が、観客席なんです!260年の歴史を誇り、重要無形民俗文化財に指定されている檜枝岐歌舞伎の観客席です。後ろに見える小屋の中に神様が奉納されていて、その神様に豊作や安全を祈願するために歌舞伎を奉納するという意味もあるそうです。村民が組織する一座「花駒座」の方に案内して頂きました。昔、伊勢参りの村人が江戸で見た歌舞伎を、見よう見まねで村に伝えたのが始まりで、それ以来260年間、父から子へ子から孫へと受け継がれ、役者は勿論、衣装・化粧などの裏方も全て村人がやるそうです。5月、8月、9月の数日上演されるので、来年は是非来ようと思います。歴史民俗資料館に不思議な木箱がありました。この箱「カロウト」と言い、娘が嫁ぐ時に嫁入り道具を入れるために親が作ったそうです。そしてその娘が死んだ時、棺桶として使用されていたんだそうです。息子の場合は、その材料を屋根裏に置いといたそうです。この話を聞いた時、最初に「せつなさ」を感じました。親は子の「死」など想像出来ない・・・でも良く考えると、死ぬ時に親が作ってくれた棺桶に入れると言う事は、「安堵」に繋がるのでは・・・そう思ったら、親の凄い「愛情」を感じました。小さな村で、大きな大きな文化に出会いました。 これ、サンショウウオの串焼きです!「ウオ」と言っても、ヤモリの様な姿・・・滋養強壮に効くと言う事で頂いてみると・・・意外!!!何のクセもなく、酒の肴に良いという味でした。 険しい山に囲まれ、決して恵まれているとは言えない檜枝岐の「食材」・・・そこは「知恵」で!ご覧下さい、このご馳走!この様な山の料理を檜枝岐では、山人(ヤモード)料理と言います。岩魚、熊肉、サンショウウオ、キノコ・・・そして「はっとう」や「ばんでい」などの料理。どれも素朴な味でホッとしますよ。 高地で寒冷地の檜枝岐では米が出来ず、主食として蕎麦が食べられていました。その蕎麦にも知恵が!つなぎになる物が昔、無かったので、蕎麦粉をお湯で少しづつ捏ね、独特の太い木の棒で薄く延ばします。それを畳まず重ねて布を切るように細く切る。これが檜枝岐名物の裁ち蕎麦!今では贅沢な十割蕎麦。でも檜枝岐では、つなぎが無かったので、言ってみれば、これが当たり前!村人の蕎麦への拘りは半端じゃありません!湯がいて艶があるうちに食べないと注意されますよ!今回宿泊でお世話になったペンション翌檜のオーナー、平野ご夫妻です。もう、家族みたいな関係?檜枝岐・尾瀬に行くときは是非!檜枝岐の地名の由来になった「ネズコ」と呼ばれる黒檜でワッパなど曲輪を製作している星さん。時が経つと下にある白い色から、私が持っている黒と言うか金色っぽくなる。冬の副業として殆どの村人が作っていたが、今では星さん一人になってしまったと言う。その一つの理由が国有林。木はあるのだが、黒檜がある森が国有林に指定されたため勝手に切る事が出来なくなり材料が手に入らなくなった。森やそこに住む動物たちを守る事も大事だが、昔ながらの伝統の技を守る事も大事だと思う。晩秋の尾瀬、冬支度の尾瀬を探しに尾瀬沼に来ました。もう観光客のピークも過ぎ、シ〜ンと静かな尾瀬沼。神秘的でいいですね!燧ヶ岳が尾瀬沼に写り、燧ヶ岳が二つ!初めて見る事が出来ました。ここ尾瀬沼ヒュッテも今年の最後のお客さんを終え、冬支度の準備です。窓に雪よけの板がはめられました。次この板がはずされるのは半年後。寂しいような、不思議な気持ちになりました。クサモミジも終わりを迎え、秋の名残りの風景です。長い、長い冬がそこまでやって来ています。寂しさもあるのですが、5月から半年間、我々人間を楽しませてくれた尾瀬に感謝の気持ちを込めて「ありがとう、ゆっくり休んで」と言う気持ちも湧いて来ました。こんな素直な気持ちにしてくれた尾瀬の自然と檜枝岐の皆に感謝します。ありがとう、またね!いい旅しました。